〔少女庭国〕/矢部 嵩


 このタイトルと表紙を見てどのような印象を持つかというと「少女性に焦点を当てたラノベっぽいな」というところが大半で、実際その通りでありながらその枠を大きく飛び越えてしまっているのがこの小説。

 

話は主人公である中学三年生の仁科羊歯子が石造りの殺風景な部屋で目覚めるところから始まる。卒業式に向かう途中だったことは思い出せるものの、なぜこんな部屋にいるのかは全く覚えていない。

部屋には向かい合う二つの壁に一つずつ鉄のドアが設置されていて、ドアノブは一方のドアにのみつけられている。そこには以下のような張り紙があった。

卒業試験の実施について

下記の通り卒業試験を実施する。

 

ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n-m=1とせよ。

時間は無制限とする。その他条件も試験の範疇とする。

合否に於いては脱出を以て発表に替える。

ドアを開けてみると同じ石の部屋が広がっていて中心には見知らぬ少女が寝ていた。開けたドアの裏を見てみるとノブが付いておらず、つまり全く同じ間取りの部屋がいくつも繋がっていることが予想できた。

この場合ドアが一つ開いて二つの部屋が繋がった。すなわちドアの開けられた部屋は二つ。卒業生は二人いるからn-m=1を成り立たせるには一人の死亡者が必要となる。もう一つドアを開けるならn=3となり死ぬのは二人となる仕組みだ。

張り紙の内容を鵜呑みにすることもできず、部屋には何もないので仕方なく次々とドアを開けていくものの、同じ部屋が続き少女が増えるだけで何も進展しない。ここからどうやって脱出すればいいのか……?と話は進んでいく。

 

 

で。

ここまで読んで感じたのは「正直大したことない話だな」程度だった。少女同士の殺し合い自体はありきたりだし(だからダメだということは無いけど)、石の部屋がいくつも続いているというのも不自然。部屋が地上にあるなら敷地面積が膨大すぎて非現実的だし、仮に地下に作ったとしても相当な費用と時間が掛かる。そもそも地上だろうが地下だろうがどうやって少女たちを運んだのか。どこかに入り口があるのか?入り口がある部屋まで開け続ければいいのだろうか?n-m=1を達成したとして誰がそれを確認するのか?少女たちはお互いに初対面なのだが、同じ学校の卒業生が何人も集まって知り合いが一人もいないなんてことがあるだろうか?卒業試験とは何なのか?誰が何の目的でこんなことをしたのか?

どの疑問にもまともな答えを出すことは難しそうで、延々と風呂敷ばかり広げて終盤になってチープな幕引きがされそうな予感。夢オチにしろ叙述トリックにしろ、土俵をひっくり返すような形でしか決着できないだろうな、雰囲気は悪くないしまあいいか……くらいの気分で読みすすめていたところ、まあすごいことになってしまった。 

 

 

なんと四分の一ほど読んだところで本編が終わってしまった。結末はドアを12枚開けて13人になった少女がもうどうしようもないからパーティ開いて存分にはしゃいで最後は投票で当選した羊歯子を残してみんな死んで終わり。描写は脱出する手前で終了。謎解きなんて無いし黒幕の登場も無い。きちんと脱出できたのかすらわからない。ページを四分の三残してふっと終わってしまう。

少女庭国は二部構成になっている。本編である「少女庭国」と「少女庭国補遺」の二つである。これは本編が始まる前の目次欄に書いてあったので知ってはいたが用語の補足か何かだろうと思っていた。実はこの小説のミソは「補遺」にある。残りの75%はこちらに割かれていたのだ。

 

 

そう、「補遺」こそがこの小説を奇書怪書たらしめている一番の原因なのだ。今までの話はほんの前置きにすぎない。

この大胆な二部構成は一体なんのためにあるだろうか。逸る心を抑えつつページを捲ると「少女庭国補遺」は以下のように始まる。

一〔安野都市子〕

 講堂へ続く狭い通路を歩いていた安野都市子は気が付くと暗い部屋に寝ていた。部屋は四角く石造りだった。部屋には二枚ドアがあり。内一方には張り紙がしてあった。

 張り紙を熟読した都市子はドアを開け、隣室に寝ている女児を認めるとこれを殺害した。

 

二〔奥井雁子〕

 講堂へと続く狭い通路を歩いていた奥井雁子は気が付くと暗い部屋に寝ていた。部屋は四角く石造りだった。部屋には二枚ドアがあり、うち一方には張り紙がしてあった。

 張り紙を熟読した雁子はドアを開け、隣室に寝ている女子を認めると襲いかかった。寝込みを襲ったため当初は雁子が優勢だったが、やがて抵抗され返り討ちにあった。

 

 ……はい。この小説は「観察記録」だった。羊歯子の物語はいくつもの観察記録の一つに過ぎなかった。延々と続く石の部屋の正体は開かれて繋がった部屋を一組として、組ごとの脱出者及び脱出(すなわち殺人)の過程を観察する装置だった。

この仕組みに気づいた時の衝撃と言ったらすごいもので、興奮のあまり口元がゆるんでしまうほどだった。こう来たか。ぬるいデスゲームだなとこっちが侮るところまで計算済みだったのか。完全に掌の上で転がされていたのか。

 

 

と合点して満足している暇など無かった。この小説のすごさは二部構成ギミックだけで終わることはない。まだページは四分の三も残っているのだ。

 以降、少女の観察記録が続く。羊歯子のように何枚ものドアを開けた者は少数だったようで大半は一枚開けて殺すか自殺するか。数行に収まる観察記録が続いていく。

変化が起きたのは 十九〔加藤梃子〕の記録である。なんと彼女は殺し合いを始めることなく軽快にドアを開け続けてしまった。その数三千。三千人の少女たちは梃子に自然と着いて行くかたちになり少女たちの大移動が始まる。直線距離で10km以上の部屋が解放されもう殺し合いで解決することはできなくなってしまった。

石の部屋に閉じ込められた少女たちは行き詰まる。三千のドアを開けても秘密の入り口が見つかったりはしなかった。新しい情報が得られることもなく、人数ばかりが増えてしまった少女たちは「出られないなら留まるしかない」となんと石の世界への入植を試みることになる。

 

 

財布から取り出した硬化やヘアピンを用いて壁の掘削から始めるのだが当然捗らない。疲労も溜まる。三千人もいたのでポケットにお菓子を入れている生徒も多少はいたようで、少量の食料こそ手に入ったものの到底足りるとは言えない。

そこで少女たち手を出すのが排泄物の摂取、つまりは飲尿食糞である。

ここまで追い詰められた人間は当然、次のステップに進む。人肉食の始まりである。なんせドアを開け続けばいくらでも新鮮な人間が現れるのだ。利用しない手などない。

結果として、この一団は数万人を超える群れに成長するのだが、先頭と後方で生じた食料格差は(ドアは一方しか開けられないから先頭でドアを開け続ける集団は常に新鮮な肉にありつける。後方の集団は前方から肉が回ってくるのを待つしかなく、監督役もいないのでまともな配給が成立していなかった)、共食いじみた殺し合いを生み、一人を残して全滅してしまう。

 

 

これは何なのだろうか。グロテスクな猟奇小説にシフトしていくのだろうか。マッドなサイエンティストが大量の監視カメラの映像を前にほくそ笑む場面へと続いていくのか。

いやそれは違う。今回 十九〔加藤梃子〕の記録は食糞カニバリズムによって見えづらくなっているが太古の人類の営み、「狩猟採集生活」をなぞっている。

この小説は「空間と少女だけは無制限に発生する空間で少女たちがゼロから人類史を繰り返す物語及びそれの観察記録」なのだ。

以降の記録で少女たちは人骨から武器を作り、開けなかった方のドアを破壊して開拓を開始し、班を組織し、新しい少女を食うだけではなく奴隷化することを始め、娯楽を生み、哲学を嗜み、文化を形成し、学校や街を作るまでに文明を興していく。

人類史を(あまりに歪な形ではありながら)再構築していく過程の描写は下劣で、醜悪な部分が大きいのに目が離せない。何もない石に囲まれた部屋でどうやって文明を築いていくのか気になって仕方がない。ここにこの小説の魅力がある。

 

 

さて。この小説は一体何だったのだろうか。黒幕やその目的について語られることは最後まで一切ない。脱出した少女たちがどうなったのかもわからない。脱出できたのかすらわからないまま、終わる。それはやはりこれが「観察記録」であることを示しているのだろう。閉鎖的な特殊環境に押し込めた少女たちがどのような反応を起こすかという思考実験の文章化。それがこの小説である。だから脱出後のことや舞台背景については描写されない。観察の対象外だからだ。

少女庭国というタイトルと少女たちの名前が同じ括弧〔 〕で囲まれているのもそうだ。少女たちと彼女たちが作る箱庭の国は同じ記号で囲まれ、同等の観察対象であることが示されている。この小説が少女の観察を積み上げて纏めた箱庭の国の記録であるということが読み取れる。

少女たちを観察して消費する「黒幕」は私たち読者や作者のことを指しているというメタ構造を読み取ることもできる。悪趣味な舞台設定を楽しんで読んでいるお前たちも同様に悪趣味なのだという風刺を含んでいるのではないか。こうした視点がこの小説をより一層面白くしている。

 

 

閉鎖環境の中で人倫から外れていってしまう少女たちを見るのは後味悪くも感じるが、生きるために食人や奴隷を即座に肯定するスピード感には爽快感すらあり、陰鬱な気分になることはむしろ少なかった。少女たちの意思決定や行動が綿密に、淡々と記述された本文はまさしくレポートのようで、筆者の飛び抜けた想像力には圧倒される。最後の記録で描かれる二人の少女の距離感、会話の温度も程良くまとまっている。滅多に世にでるタイプの本ではないと思うので興味を持った人は是非手に取ってもらいたい。大満足の一冊でした。